Action first

Facebook や Twitterを見ていると、

オリンピック2020年東京開催に対して、人々の感情や意見が大きく分かれているのがとてもよくわかりますね。

賛成派は純粋にスポーツを通じて人々が繋がること、スポーツ観戦そのものを楽しみにしているでしょうし、

そこから波及する経済効果の恩恵もすごいでしょう。

反対派は、浮かれてる場合じゃないだろう、、、福島の原発や、東日本大震災の被災地復興はどうなっているんだ、と

怒りを感じていることでしょう。

私は、どちらかに加担するつもりも、自分の中で、賛成・反対、という結論を出してもいません。

どちらの感情も有りだし、それが当然し、両者の言い分はそれぞれに理解できるから。

ただ。

情報過多のこの世の中で、こうした意見だけをただ、シェアしたりするのは、

どうかと思ったり。

自分たちが、ある物事に対して意見を言う、それはもちろん自由。シェアも自由。

でも、言いっぱなし、シェアしっぱなし、ではあまりにも発信した情報に対して無責任ではなかろうか、と。

何か意見を言う、共感できる情報をシェアするのであれば、

だから、そのために、自分はこういうことを積極的にアクションとして起こしている、

という身を伴った発言が欲しいと思う。

ただ、いいぞ!ダメじゃないか~!と意見しているだけは、

単なる傍観者。

私たち一人一人が、今、マウンドに立って、プレーヤーとして動いていかなければ、

誰が何を言っても、何も変わらない。

観客は、もう必要ないと思う。これからの世の中を変えていく力は、

惑星の住人全てが、プレーヤーになって、何らかのアクションを起こしていかないと。

だから、

私はなおさら、

オリンピックにしても、

原発にしても、

自然環境のことに関しても、

自らが、それらについて意見をするとき=何らかのアクションを伴っているとき、あるいは、アクションを起こすために人々に呼びかけをしたいとき、

だけ、発言していきたいと思ってる。

色々な流れてくる情報を見て、それらに感情やライフスタイルが左右される場合もたくさんあるはず。

ある人が良いと思っていることでも、

別な人にとってみれば、良いことではない場合もあるし。

情報の受け取り手が、そこをきちんと見極めることができればいいけれど、

震災の時もそうだったけれど、

情報が錯そうすると、

人々は何を信じていいのか、どうしていいのか分からなくなってしまうこともあるから。

だからこそ、情報を発信する人も、情報源の確実性をきちんと見極め、確認してから、

世の中に発信していく責任感をしっかりと持ってほしいと思う。

言うは易し、行うは難し。

実行しよう。

出来る範囲でできることを。

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