NO BORDER

以前にも少し書いたことがありますが、なかなかこればかりは理解するのが体験を伴わないと難しかったりするもの。
もう一度、少しだけ軽く書いてみようと思います。

スピリチュアル~っていう言葉を聞くと、その言葉の持つ特質性やメディアなどから得た「スピリチュアル」という言葉の定義や先入観から、どうしても、「あっちの世界」とか「自分には関係ない世界」とかって、
「世界が違う」と思いがちなのですが、(私も本当に数年前まではそうでした)。
でも、本当は、誰にでも、スピリチュアリズムはあって、人間としてこの世に生を受けたその日から、その人その人のスピリチュアリティがそこには存在しています。大人になるにつれて、そういった部分が薄れてきてしまったり、特にエゴ(自我)が芽生えると共に、感じにくくなってきてしまうことも多いでしょう。
子供が、時々ヘンなことを口走ったりするようなことだって、実は、子供の頃は本当に感性が豊かだから、そうしたスピリチュアリティがきちんと実生活に反映されているからこそ、の現象なのですが、大人の立場からそうしたヘンな発言?を、「そんなの単なる子供の空想だよ」と片付けてしまうことも少なくありません。

普通にお母さんとして専業主婦として、毎日家事洗濯がんばってる人だって、実は、「主婦」という能力を最大限に発揮するために、非常にスピリチュアルに自分のエネルギーときちんと繋がって主婦している人もたくさんいます。ただ、多くの場合、本人がそのことに気づいていない、もしくは、自分とスピリチュアルな存在をつなげて考えることができない、状態であることは多いです。

なにも、「何かが見える」「何かが感じる」「何かが聞こえる」=目に見えない「何か」を感じることのできる人のことを、スピリチュアル、というわけではなくって、誰でもが本当はスピリチュアルな存在。

日常にスピリチュアルなんだってことを、本当に私は実感しているし、それって大切なことだと思って生きています。
絵を書く人、歌を歌う人、経営者として活躍している人、何かモノを作っている人、スポーツ選手、サラリーマン、技術者、、その人の持つ能力や携わっている職業、というのは生きていくひとつの手段として、または自分を表現するひとつの方法として、後天的にでてきたものだけれど、スピリチュアルな能力そのものは、本来、人間として生まれた全てのひとに、平等に与えられています。そして無意識の中で、自分のスピリチュアリティを実生活の中にきちんと役立てている人も多いのです。著名な人は、とくにそうした自分の中のスピリチュアリティをきちんと自分の人生の中で役立てていることの証なのだと思います。それを意識的に自覚している人もいれば、無意識の人もいる、という部分が異なるだけ。でも、自分の本質とは異なる部分で著名になっている人もいますね。そういう場合にはどこかでやはり歪が生じてきたり・・・もしくは、著名じゃないけど、日々苦難の毎日を送っている人々も多いでしょう、でもそれも、その人の人生にとって必要だから与えられた使命のひとつ。本当に、物事は全てが繋がっていて、毎日瞬間瞬間が気付きの連続なのです。

そこに気づくと、本当に、人生そのものが楽しくなるし、
もっと多くの恩恵が自分にもたらされる、
と、私は思っています。それでも、日々精進。人間として生まれてきた以上、「成長」なくしては命を全うできない仕組み、システム?笑、になっているからです。

自分の中のスピリチュアリティに気づくこと、というのは言い返せば、より【地に足をつけて生きていくために必要なエッセンス】に他ならないと思います。

自分には関係のない「世界」と、闇雲にスピリチュアル、という持つ言葉の先入観だけで、自分の中で線を引いてしまわずに、見る角度を変えて物事を捉えてみるだけで、思わぬ発見があるかもしれません。まずは、自分の中の色々な物事に対するBORDERを外してみる。そんなところが出発地点なのかもしれません。

意識をどこに向けるか。
気づくか気づかないか。
いかにニュートラルに物事を捉えられるか、
そんなところが、キーワードなのではないかしら~と。

昨日、ちょうど、子供が学校の図書館から、偉人伝の本を2冊借りてきてくれて、それは、「リンカーン」と「マザー・テレサ」でした。息子君よ、ナイスチョイス!笑。
そして、リンカーンを、夜寝る前に布団の中で読んでいて、改めて、彼の中には、人間としての境界線が何らなかったのだ、ということを実感したし、だからこそ、これだけ歴史的な人物として後世に語られているのでしょう。
「黒人」と「白人」というボーダーを無くすために尽力を尽くしたリンカーン。黒人である前に、白人である前に、どんな人も「同じ人間として平等なのだ」という観念。
スピリチュアルも同じです。
「スピリチュアルであることと」と「そうではないこと」という切り離された観念は、もはや、これからの時代、どんどん淘汰されてなくなってきます。なぜなら、人間である以上、いや、命を持っているどんな存在(動植物含めて全部)も、すべて、存在そのものが「スピリチュアル」だからです。

例えばお医者さんに名医とヤブ医者がいるように、スピリチュアルなことを職業にしている人の中にも、本当に宇宙のエネルギーと繋がってその能力をより多くの人々にきちんと還元している人もいれば、低次元の中でスピリチュアル、という言葉に振り回されている人だっています。同じこと。それらを判断する自分の目を養うためには、やはり、自分自身がそのことを理解しよう、と思わない限り、ネガティブな部分だけにフォーカスして、ウソっぱちのスピリチュアルだって世の中多いし、なんか怪しい、、と感じてしまい、それで片付けて終わってしまいます。

例えば、趣味で何か小物を作っている人、最近多いですよね、そして、そんな小物たちを作っている瞬間は、どんなイヤなことも忘れて、とっても癒しの時間である、と感じて、日々、仕事の合間をぬってモノ作りに励んでいる人もいるはず。そう、そんな人こそ、モノを作っているその瞬間は、非常にスピリチュアルに肉体を持つ自分とエネルギー体の自分が密に繋がっている現象そのものだってこと、自覚して良いのですv。だから本当に誰でも、しつこいようですが(笑)、日常にスピリチュアル。

そんな話を、実は、Ryoko’s Talk Storyや大村さんのビジョントラベルミニセミナーでは、お話ししています。良かったらぜひどうぞ。あれ、結局、宣伝になっちゃった・・・爆。笑。

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