課題

 このところ、どうも色んなブログやたまたま目にした書籍やら、、の中に、
 共通するある言葉がひっかかっていた。
 うーん?
 何かメッセージよね?笑。

 なんだろうね?笑。

 そして、その答え、に匹敵する文章に今朝、出会ったときに、
 ちょっと自分の中で、色んなものごとが崩壊してゆく(=良い意味で)感じを受けました。

 今。
 今を生きる、ということ。
 センタリング。
 グラウンディング。
 曖昧だったこうしたことを理解したような。

 以下、部分的に要点のみ抜粋。
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 多くの人が、自分には「何かしなければならない事がある」と考えているようです。自分には何か成すべき使命があると考えます。あなたに成すべきことが何かあるとしたら、それは「今を100%生きる」ということであり、それ以外にあなたの成すべき事はありません。

 将来のいつかあるときあなたが光るために今があるわけではなく、何か達成されたときに輝くように今が用意されているわけでもありません。今、輝くためにあなたは存在しています。あなたがするべきことは、今光輝くこと、あなたの命を今生き生きと発揮させることです。

 なのにどうして今輝こうとせず、これが出来ないとダメだと決めているのでしょうか。あれがない限り不可能だとか、これさえあれば出来るのだが・・・と。「これがあれば輝けるのに」と決めているのは誰でしょう。そう決めているのはあなたです。

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 「何かしなければならないことがある」と考えただけで、人はその自分の考えから束縛を受け始めることになります。「ねばならない」ことはあなたを縛ります。あなたを不自由にしているのは、この「ねばならない」という考え方です。あなたにしなければならないことなどなにもありません。元々神そのものであるあなたに何かしなければならないことなどあろうはずがありません。神は、したいからするのであり、しなければならないからするのではないはずです。

 「こんな自分を何とかしよう」、「この気持ちを何とかしなければ」、「あいつはこのままではいかん、何とかしなければ」、とこんな気持ちから行動をとっている人のなんと多いことでしょうか。これらはいずれもあなたの自我から出てくる行動であり、あなたの本質である神のなすワザではないようです。

 これまで人は神のごとき人間になりたいと、多くの理想をかかげて行動してきましたが、人はこの「理想」を心に抱いたその瞬間から、実は、何とかしなければならなくなってくるのです。理想とかけ離れた自分を何とかしなければならなくなってくるわけです。

 人が理想を思い描くのは今が理想的でないと感じているときであり、そのあなたの無意識下に秘められた、今を否定する「このままではダメだ」という思いが、このままではいけない困った現実を呼び寄せることとなってきます。それがあなたがこれまで体験し続けてきたあなたの現実です。

 あなたがこれから還りゆくあなたの根源には、「何とかしなければならない」ことなど何もないと伝えられました。あなたは自分の根源であるハートの中心に意識を置いておきさえすれば、「どうにかしよう」という思いは瞬時に消えてしまいます。

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 歓びは、今、ここにあります。今この瞬間には無限の歓びがあります。あなたが頑張って達成したところにも、もちろん歓びはあるのですが、それは限られた歓びにすぎません。限定付きの歓びを追い求めるゲームはそろそろ終わりにして、これからは、この瞬間の無限の歓びの発見にこそ努めていただきたいと思うのです。

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 「自分は自分の悦びを表現しようと思っている。しかしそれにはこれが必要だ。だから自分は今これを手に入れようとしているのだ。イヤだけどこれが必要なのだからしかたがない」と、今この瞬間に我慢をしてはいませんか。

  「仕方がないではないか」と人は言います。「事実は事実ではないか」と・・・。そうですね。そう思っているあなたがいることは事実ですから、あなたのまわりにそんな宇宙空間が事実として作られています。あなたが創造主なのですから。「だってみんなもそう思っているではないか」とあなたは続けます。もちろんその通り、あなたの創った世界ですから、あなたのまわりにあなたと同じ考えの人が集まっていて当然です。

 あなたがその思いを手放したとき、あなたのまわりの現実が変わり始めます。何度もいうようですが、あなたは今、あなたの歓びを表現して下さい。今この瞬間のあなたの歓びの思いが、次の瞬間のあなたの輝く未来を創造します。その歓びの瞬間が、又その次なる歓びの瞬間を産み出し、こうして永遠に歓びが途切れることなく続くことになります。

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 あなたは自分の手でシナリオを書いてこの地球へやってきました。しかしその自分で書いたシナリオのことはもうすっかり忘れさっています。あなたが自分で書いたシナリオを生きたかったら、じたばたしないことです。今、あなたが頭で考えて何かを強く望んだとしても、もちろんそれは実現することでしょう。それもなかなかおもしろいゲームです。でもこれまで、さんざんその遊びをやってきたのですから、このあたりで自分が神であったときに書いた自分のシナリオに戻ってみてはいかがでしょうか。

 今この瞬間を100%遊び、起きてくることに身を委ねてみてはいかがでしょう。そして、今、やりたいことをやって下さい。先のことを考えた上で、計算ずくで行動するのではなく、常識に捕らわれた行動をするのでもなく、今、本当にやりたいことをやって下さい。未来の自分をではなく、今の自分を100%愛し、自分を甘やかせてあげて下さい。

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 完璧なペースで、今、地球の波動は変わりつつあるようです。準備の整った方々には、問題がモーレツな勢いで次々と押し寄せてきていることでしょう。やって来る問題の原因は、人それぞれに複雑で多岐にわたり、一般論として話したところで、なかなか本人の納得のいくところとはなりません。ですが、それを良きものとして捉えられる人は幸せな人です。

 問題が現れた時の態度として、まずそれを「解決しようとしない」という心構えを第一に挙げたいと思います。もちろん「するな」という事ではありません。ささいな問題も放っておいたら、向き合わずにはいられない状態が必ずやってきますから。出来ることならどうぞ早め早めに解決して下さい。このニュアンスをうまく伝えられると良いのですが、何であれ「しよう」と行為することはうまくいきません。

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 「しよう、しよう」と頑張ろうとするのは「出来ないかもしれない」と疑っているに他なりません。ですからあなたが「しよう、しよう」としている事は出来ないのです。さいころの6の目を出そうと想念を傾ければ、その目が出る確率が上がってくることは既に知られていることですが、せいぜいその場合の増加確率は1%とか2%に過ぎません。想念の力の使い方を根本的に誤っています。片方で出来ないと信じたまま、6を出すぞ、6を出すぞと頑張っているのですから。りきんでいる人は、出来ないと思い込んでいる人です。単にさいころの目は自分の思い通りに出せるのだと信じ込めた人は一挙にその確率が8割9割と増えてしまう事でしょう。

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 「大いなる私」に結果を委ねる代わりに、「どんな結果も受け取ります、恨みや後悔なしに」という心構えが必要です。ここであなたにとっての問題は、その時予想される(あなた独自の予想)最悪の結果でさえ受け取れるか否かという事になります。委ねられないのはその最悪の結果では困るというときです。この時自我は困って、自分で解決しようと働き始めます。「小我には何一つ問題を解決する力なんかないのだ」という事を最終的に思い知らされるまで、自我は働き続けます。

 あなたという小我はこれまで何一つ問題を解決した事はないし、何かを達成した事もありません。そんな事は不可能です。何故ならその力を持っていないのですから。小我であるあなたに出来る事は「こうありたい」という結果をイメージする事、それだけです。小我の観点から見た場合、後の事はそうなるかもしれないし、ならないかもしれません。結果は神のみぞ知るという事になります。

 でも何が起ころうとあなたは欲しい結果をイメージし続ける事は可能です。今そこに欲しくない結果が訪れたとしてもです。あなたがその途中のどんな欲しくない結果に出会おうとも、あくことなく欲しい結果を純粋にイメージし続けさえすれば、やがて、いつか、どこかの時点で、必ずその結果はやって来ます。あなたは欲しいものを手にします。あなたこそが「大いなる我」であるからです。「だめだった」という判断は不要です。それはだめだったという訳ではなく、その時点では「大いなる我」の観点から見てそれがベストであったというだけです。小我の観点から見ればそれは単なる途中経過点に過ぎないのですから、小我であるあなたのする事は、その途中結果を握りしめず、観察の流れの中に流し去り、欲しいイメージを抱き続けていくことです。必ずその結果はやって来ます。

 役に立たないのは、途中の経過点を見て、「これではいけない」と、何かを否定してしまうことです。これまでの成長の過程の中で「それじゃだめだ」と何度も何度も否定され、そして否定してきたからです。小我の判断癖が解決を遅らせます。

 ちょっと想像してみて下さい。自分の思いが必ず実現することを100%信じ込んでいる人がいるとします。その人は、自分のイメージと異なった現象を目にした時、それを結果だと捉えるでしょうか、それとも結果へ向けた進行中と捉えるでしょうか。100%信じている人の目には、自分のイメージと異なる現象は自分の願望の進行過程にしか見えないはずです。

 時間の中にいるという観点から飛び出して下さい。地球という固定した世界の中で時間が過ぎて行くという世界観から、自分を空間の旅人という世界観において下さい。時間が過ぎていく世界に住んでいる人は、その限られた時間の中で何かをやろう、成し遂げようと発想します。実際には時間などというものはなく、あなたは目に見えないあなた専用のUFOに乗って空間の中を移動中です。あなたは自分の内面世界を絶えず移動し続けているために、自分が移動している事を忘れ去っています。あなたはあなたの見ている世界の旅行者に過ぎないのです。そしてあなたは今は単にその移動率の事を時間として認識しています。その誤解によって、絶えずあなたは今を無駄にせず何かをやろうと発想がわいて来るわけです。

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 恐れがあると意識はその恐れのエネルギーに引っぱられ、小我の中心に意識が固定化されてしまいます。ふと気がつくと、そんな自我意識の中心で必死に問題を解決しようと働いている自分を発見する事でしょう。恐れがある限り自我はがんばり、真の問題解決を遠ざけます。そして問題があなたにどんな恐れがあるのかを見せてくれているわけです。恐れを取ることだけが、真の問題解決です。何故なら幸せとは恐れのない状態のことをいうのですから。問題を解決してしまったら、恐れだけが取り残されてしまいます。

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ーーーーーーーーーーーーー以上、抜粋 ・・・津軽晃一さんのサイトより

 ここ数日、私の目に飛び込んできていたキーワードは、「神」でした。
 宗教的な意味合いがある「神」ではなく。
 言葉は有限なので、「全ての万能物」を「神」と表現することもあるかもしれません。
 そういう意味での「神」なんだろうな、と
 自分で認識しつつ、
 一体、その「神」と「自分」とどういう関連性による気づきが用意されているんだろう?ナンだろう?
 と
 思っていたのでした。。

 嗚呼。すごい。

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