今日、車で信号待ちをしているとき、目の前の横断歩道の右と左で道路を挟んで、歩行者信号が青になるのを今か、今か、、とセワセワして、待ちきれなくって、なにやら向こう側にいるヒトに叫んでいるお母さんらしき女性がいました。
歩行者信号が青になって、お母さんはダッシュ、反対側にいる息子らしき男の子になにやら一言告げている様子、その直後、男の子の不安そうな表情が一気にぱぁっと明るくなり、お母さんらしき人と熱い抱擁。
2人は、お母さんが渡ってきた方向へまたまた逆戻り、そのすぐ目の前にある成蹊大学の門へ歩いていきました。。。
「あぁ、大学、合格したのかなぁ、、、。でもなんかあの男の子、大学生っていう年齢じゃないよなぁ、、高校生かなぁ。。」なんて思いながら、2人のドラマ絵図のような素敵な抱擁=Hugを見て、羨ましいなぁ。。と
私自身は、すんごいアメリカナイズされているから、結構すぐに抱きつくし、ベタベタくっつくし、身体触るし(セクハラじゃないよっ)、愛する人と何かあればチュッ、チュッしてるけど、じゃぁ、私と両親との関係はそんなにオープンであるのかっ!?と言えば、答えはNO。我が両親、英語ペラペラの息子と娘がいながら、全く英語しゃべれないし、バリバリ小樽と種子島の純・日本人。
そいでもって、結構、我が家庭、厳しかったのよ。その反発で、私は一人、無鉄砲鉄砲玉、というあだ名を親からもらい、厳しいお家柄のレールに乗ることなど一度もなく自由気ままに自分の思うがままに生きてきちゃっている。だから、親子で抱き合う、とか手をつなぐ、とかましてや、チュゥなんて、したことない。っていうか、する気も起きない。。。っていうか、そんなチャンスがあれば、してみたいとは思うけど、、、、なんか、雰囲気的に絶対できない(笑)。
その反動が、今の西洋化された私のマインドに間違いなく影響しているのは確かだし、だから、私と息子はすごいHugもKissもする。そして、おそらく、その影響は、我が両親にも絶対にあって、私とHug&Kissをしてこれなかった反動が、彼らの孫である私の息子に向けられており、じいちゃん、ばあちゃんは、やたらと我が息子と抱き合い、毎晩寝る前やお出かけ時にはHug&Kissが日課となっていたりする。。要するに、私と両親の間の果たせなかったひそかな暗黙のスキンシップが、息子ターゲットになんか達成せられている始末。いいのか、コレで(笑)。まぁ、いいんだろうなぁ、タブン。
でね、ま、私と両親とのHug&Kissスキンシップはそんなわけで、ありえない過去だったわけだけれど、私は、息子が18歳になっても、30歳になっても、50歳になっても(私はその頃まで生きていられるのか??)、親子で違和感なく、Hug&Kissができる親子でありたい、と、今日、信号待ちで抱擁する親子を見て、再認識しちゃった。
今は、息子もまだ4歳半だから、マミーにベタベタくっついて当然、マミーが一番、「ボク、マミーとケッコンしたいのぉ。。」とか言うけど、そのうち、小学生になり、高校生になり、、子供から青年となり、彼女ができて、、なんてなってきたら、「母ちゃん、金くれー」なんて言うだろう、きっと(笑)。
それでもね、自然にHug&Kissができる親子関係だけは持ち続けていたいと思うのよ。
だって、スキンシップ。ってホントーに大切だと思うから。
想いをすべて明確にコトバにできないときだってあるでしょう。コトバにしたくないときもあるでしょう。それでも、何かしたいとき、、、やっぱり、スキンシップしか、関係を築けるものってないんじゃないか。って思うから。
子供はいずれ独立して自分の家族を持ち、新たに人生を歩んでゆくもの。私だって、そう。母親でありながらも、子供が独立して子育てにひと段落したら、そこから母親以外に全うできる人生、いくらでもスタートできる。だけど、私たちが親子である、という事実はずーっと何があったって変わらないもんね。
だから、スキンシップ。Hug&Kiss。大事♪
○×○×は、○Hug ×Kissね。その昔、アメリカで出会った彼と長く文通していたときには、必ず封筒の裏に、このマーク、書いていたっけなぁ。。あぁ、なんか、口紅塗ってキスマークとかもつけてたっけなぁ。。。今考えると、さむっ〜って思うけど(笑)。
さむっ〜って引かれない程度に、Hug&Kiss。皆さんもどうぞ(笑)。
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