母親として。

 まさかねぇ、という感じで、夜のニュウスを見ていて、身近な武蔵野市で、高校生のイジメ暴行事件が発生。

 違う、異なる、一緒じゃない、っていうことに対する偏見やステレオタイプな価値観はもちろん世界中ドコにいってもある程度はアル、と思う。
 でも、日本の場合、やはり単一民族、単一言語、島国という風土、文化からその価値観に占める割合はやはり多いのではないかな、とも、思う。
 そして、そんな文化のなかだから、親もなんら他意とかないまま、ある特定の人々にとっては差別にとられるようなコトバも何の気なしに発してしまうことも多いのではなかろうか。

 電車の中とかで、英語とか聞こえてくると「えっ?」って振り返ったりしてしまうこと、ないですか?黒人の女の子がペラペラ日本語話しているのに遭遇して、じーっと見てしまったり、「あの子、ガイジンよね?」とか口に出してしまうこととかないですか?
 何気ないコトバで。全く他意とかなくって。だから問題は根深いんです。他意があったほうがまだ救えるからねー。間違いであることに気づけば解決するから。
 コトバは本当に言霊という日本的な単語を使うならば、コトバ、というエネルギーで人に大きくつきささります。同じコトバでもトーンや言い方ひとつで全然違ってくるのも事実。だから、もっともっとコトバを大事に扱って欲しい、少なくとも私は言葉の重みをかみ締めてコトバを使いたいと思っています。


 私の知り合いは、私と同じシングルペアレントで、ハーフの子供を持つ母親です。彼女の子供は、入学した公立の小学校で仲良い友達と鬼ごっことかをするときに、「xx君は、外人だから、日本人より足が長いからその分足が速いんだから、オニになれよ」、、、みたいなことを言われました。何気ない一言だったかもしれません。イジメルとかっていう気持ちは言った子供にはなかった(ことを願います)と、思う。むしろ、足が長いその子を羨ましく思うあまりに出た言葉だったのかもしれません。
 だけど言われた知人の子供は傷つきました。自分が他の子供たちとは違うことを、そのコトバで改めて意識してしまい、そんな自分を認めるのではなく、自ら罪悪感を持ってしまいました。
 子供の心は繊細です。親が「そんなこと気にするな」と言っても、傷ついた心はそう簡単には癒されない場合も多いでしょう。
 結局、知人は子供をインターナショナルスクールに転校させました。彼女一人ではそうした環境から息子の傷づいた心を癒してあげることは難しかったのかもしれません。離婚した後、日本語しか話していなかったらしいので、英語学校にも通うようになりました。
 お金も余計にかかります。経済的に大変です。
 それでも、子供の傷つく心と天秤にかけることのできない選択だったのだと思います。

 そんなことを考えたら、我が息子はどうなるの?
 ハーフ、未婚、本人は父親に会ったこともない。英語もしゃべらない。三重苦を越えた四重苦じゃん?(大笑)。
 私はこの四重苦は四重苦と思ってなんか全然いません。息子の年齢に合わせて少しづつ少しづつきちんと彼に我がファミリーの取り巻く環境、息子が生まれてくるまでの過程について話をしてきています。そこにはウソとかナシで。ただ、理解力に応じてまだ言っていないこととかはある、でもそれは彼の成長に合わせて説明してゆきたいと思っているし、こんな環境だから私たちは他の家庭と違うの、だから、仕方ないの、、とかネガティブなこと、一切排除です。明るい未婚、シングルペアレント親子なんです、至って。
 どんな環境でもハッピーな気持ち、愛にあふれた生活はできるんだもの、だって。
 誰かと比較して自分の幸せの物差しを計るなんてこと、バカげてることだと思うでしょ?

 多民族国家だったら、それでもこうしたことは大きな問題になることは少ない。そんなことをイジメの対象にしたり、問題にするような文化、風習じゃないからね。違うことが「当たり前」の世界だから。
 海外ではむしろもっと根強い人種差別的なことが問題になることのほうが深刻だったりするから、っていうのもある。だから海外のほうが絶対いい環境とも断言できないところも実際ある。

 日本は世界でもトップクラスの先進国。外資系企業もこぞって日本に進出しています。グローバル、ってなコトバも、すでに日本語に溶け込んでいる。
 だけど、本当の意味でグローバルなニッポンでしょうか。
 物質的にはグローバルかもしれない。でも「心」はどうでしょうか。

 異なるものを受け入れる、違って当たり前、それが個性、それも、個性。という価値観を、特に、教育という立場に携わる大人や、グローバルなニッポンになる以前のニッポンで育ってきた大人たちに持ってもらいたい、と思うのは、単に「文化」「風習」「風土」だから、っていうだけでムリなこと、って諦めるしかないのでしょうか。

 それでも私は、息子をとりあえず近所の徒歩5分の公立小学校に来年入学させます。膨大なお金がかかるインターナショナルスクールに行かせるだけの経済力もありませんし、少なくとも自分の中では、三鷹市、武蔵野市、という多少はインターナショナルな環境もあるのではないか、という若干の期待も持っているからです。
 そして、どんな環境にあっても、自分を見失わず、自分を愛してゆける子供に育って欲しいから、あえて公立へ行かせるつもりでもあります。逃げることで物事を解決したくはない、っていう気持ちもあったりして。。
 だけど本当にそれで正しいのだろうか。最近の子供たちに関する悲しいニュースを見ていると、自分の決断すらゆらいでいきそうになります。

 私は、息子が10歳くらいになるまでの間にはハワイへ移住することを目標に今、日々動いています。そんな話をするとたいていみんな声をそろえて「いいなぁ」といいます。
 その裏には、やはり、前述の知人と同じ、息子をより差別や偏見のない環境で伸び伸びと育てたいと思う親心が一番の理由です。そう、結局、インターナショナルスクールへ行くお金はないけど、同じくらいのお金をかけて、少なくとも日本で心配するようなイジメとかに気を使うことのないハワイへ行くことで、逃げる、ことにはなるんだろうけれど。
 
 表面的には「いいなぁ〜」な目標だけれども、私自身も、日本人でありながら、バリバリ日本の血が流れた人間だけれども、同じ日本人として「単一民族特有の価値観」という点については、ちょっと賛同できない価値観です。

  そしてそうした価値観を私ひとりで変えてゆくことはもはや難しいのでは、ということも実感しています。
 時間もかかるだろう。本気で取り組もうと思ったら。
 だから、結局、知人と同じより良い環境へ「逃げる」ことしか選択肢がないから、知人は日本にある海外へ。私は海外へ移住という道。どちらも経済的には本当に大変です。

 あとはもちろん、私自身、海外で英語圏で暮らすほうが自分らしく生きられる、という確信があるから、というのも大きな理由ではありますがね。

 だから、海外移住の第一の目標が息子の環境整備で、もしかして理由がそれ「だけ」だったら、例えば、息子によく似ているウェンツ君(ウソ、息子が彼に似ているんです、大笑)とか、ベッキーちゃんとか、ハーフでありながらほとんど母国語日本語とか英語全然話せない、とかいう子供たちが伸び伸びと活躍したり認められたりする環境も、絶対に日本にだってあるはずなんだ。だから、そんなに海外移住に固執しなくてもいいのかもしれない、とも思う。

 どうなるかわ分かりません。
 息子も来春には小学生です。母親として本当にどんなときも愛を持って、愛を与えてどんなことでも受け止める力量が要求されてくることでしょう。
 その結果、実は、ずっと日本にいよう、日本の学校はなんて素敵なんだ!となるかもしれません(笑)。
 要するに、私の人生を豊かにするためにすべきことも捨てがたいけど、今は、息子の人生を豊かにするために母親としてできること。これを最優先してゆきたいからね。
 親の勝手な都合とかで子供を振り回したくないから。でもきっと息子は、「マミーがハッピーならボクもハッピーだよ」と泣かせるようなコトを言うんだろうなぁ。愛おしいいでしょう(笑)。

 悲観ばっかりしていても始まらないし。逃げるだけで解決すべきことではないのかもしれないから。とりあえず何でも受け入れてその中で、常に私と息子にとって最善の道を母親の立場として導いてゆく、ってこと。本当にそれが問われている時代のような気がします。
 大人としての責任、親としての責任、きちんと果たさないとねー。

 こんな心配無用だよ〜って思えるような、愛にあふれたニッポンに発展していくことを、私自身願ってやまない一人でもあるのが、本音ですけどね。
 英語ペラペラで、マインド西洋化している私ですが、やっぱり血はバリバリニッポンですもの(笑)。日本人として母国を心から愛して安心して生きられる社会になって欲しいと願う気持ちに変わりはありません★

 あぁ、なんか久々に長々と語ってしまったなぁ。。オヤスミナサイzzzzz

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