ホノルルで帰国前日にとあるサービスを受けたんです。
本当はもっと早く受ける予定だったんだけど、その「人」、約束の時間に行ったらいないこと1回、2度目に予約して行ったら「今日、すでに予約でいっぱい〜ごめん別な日にして」、3度目に行ったら「ごめん〜あと1時間後にして」。で4度目の正直(?)でやっと念願がかなったわけですが、そんなに待たされて向こうの都合でその場その場で、延期され、それでも結果として私としては大満足で、彼女が好きだ、という桜を押し花にして、送るよ!という感謝の気持ちも表明してきました。
商品がいい、腕がいい、っていうのはもちろんだけど、その「人」。変わっているのね。でもね、にじみ出る「優しさ」を私は彼女から感じたの。あくまでも直感的に。
だから会って話をしたその瞬間に彼女に対して100%の信頼感も生まれたんです。だから、彼女もその気持ちを察して、受けたサービスが非常に良かった、という結果にもつながったんだと思うんだけど。
その「人」。見かけは怖いの。っていうか、最初、電話で話したときは間違いなく【男】でした。(声としゃべり方がね)。
初めて会ったときも、短髪だし、ジーンズのはき方とか半分お尻がずり落ちているような履き方してるし、ダボダボしたシャツ着てて、絶対男に間違いない、というか疑うことすらしなかったの。
そしたら、なんかの話で、「私が息子産んだときには、、」とかって言い始めて「えっ?なに?」と思ったら、若干ダボダボシャツの胸当りに確かにおっぱいらしき膨らみもあることに気づき(大笑)、ひぇ〜女だったのか〜〜ってな感じ。
年齢不詳で、店にたむろっている友達らしき人も、怪しげな人から、まじめなOLさん風の人から様々で、むしろ、カテゴリー分けできない彼女の交流関係からも、人としての器量がうかがえた感じでした。
「本当は今月末から日本に旅行に行くはずだったんだけど、どうも予約が次から次へと入っちゃってね。桜、見たかったなぁ。お寺とか。きれいだろうなぁ。とにかくね、写真じゃなくて、その場へ足を運んで”感じたい”のよねぇ。。。」って。
体で感じる、という感性を大事にしている彼女を本当に、素敵だなぁ、と思いました。
だからせめて、、と思って、「じゃぁ、がんばって桜の押し花、日本で作ってみるから、そしたら送るね。」って言ったらもうね、子供のようにはしゃいで万歳ポーズして、「God Bless you!」ってすごい喜びようなの。
そうやって、自分の感情を素直に表現できて、自分の気持ちに正直に生きている彼女をやっぱり改めて、私は「人」としての器量の大きさを実感させられました。
日本に帰って来たら、相変わらずホリエモンニュースやら、M&Aニュースやら、なんか「見えない人たち」のニュースが結構多くて、さらに悲劇な事件とかも相変わらず後を絶たなくって、ニュースを見ていて「しょんぼり」してしまうことが多いですね。
そんな中、なんかのニュースのコメンテーターみたいな誰かが、「結局、どんなにお金があろうとも、その企業が社会的に認められている存在であろうとも、本当の価値は、そこに関わっている”人”を見て判断すべきであり、その判断もまた数字ではなく”人”によって下されるべきことですから、、」みたいなことを前置きして、事件とかに関する評論を唱えていたんだけど、もっともだなぁ、と思いました。
そんな話をテレビで聞きながら、今回、帰国直前にホノルルで出会ったその「人」のことをふと、思い出したり。私にとってとても印象的な人物だったし、刺激を受けたし、その出逢いがあったことに純粋にうれしい気持ちでした。
もちろん、次回にハワイへ行った時にも絶対彼女に会いに行こうと思うし、彼女のサービスをまたまた受けよう、とも思っているし、何より、彼女が喜ぶ「桜の押し花」作りを一生懸命がんばろ〜!とか思ってます。
私もそんな風に、想われる「人」を、目指していきたいな。
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