托鉢。(たくはつ)。
というのをご存知でしょうか?
←よく町中で、お経?のような言葉を唱えながら、ボール(鉢)を持って、立っているお坊さん?の姿。
見たことあるある~という人は多いでしょう。
この托鉢。
実は、Love MAUIがテナントとして入っているジャルダン吉祥寺にも登場するのです。
1年に1度くらい。笑。
最初の年に、← これ(失礼!)がドアの前に現れて、
こちらに向かって、何か唱えている姿に遭遇してしまったとき、
私=見ていないふり。仕事しているフリ。忙しいフリ。。。。。。
だって。怖かったんです。笑。
ここのテナントって入り口1箇所しかないし。
ドカドカっって入ってこられたら逃げ場所あーりませんからっ!
2年目。
私=不在でした。お店のバイトスタッフが後日教えてくれました。
彼女も、なにをするわけでもなく、お経を唱えてくれるお坊さんをそのまま~。
3年目(去年です)。
私=息子も一緒にお店にいました。
自分のお財布と、お店のレジから小銭をとって、息子に、
「お坊さんが来たら、鉢にこのお金をいれて。そして、”ありがとうございます”って言うんだよ」と。教えました。
托鉢。という意味も知りませんでしたが、托鉢に限らず、
「Giver。与えることの大切さ」みたいなのを実感し始めて、そして、なんかのときに、
托鉢の発祥物語。みたいなのを読んだときに、
最初に、お店でこの托鉢に出くわしたトキに、自分はどうしてよいか分からずに、
見ていないフリ、仕事しているフリ、、をしてしまったことを恥ずかしく思ったものです・・・
でも、何事も勉強。最初は誰でも何も分かりません。
こうして、3年目に、知ることができたんだから、それでよいのです!
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托鉢の発祥?ストーリーです。
「托鉢(たくはつ)」というのは、お釈迦さまが、考えたという説があるそうです。
2500年前に、お釈迦さまを信奉する者たちが在家信者として、いろいろな食べ物や野菜などを持ち寄って来ていたそうです。
あるときに、お釈迦さまが、突然、神からのインスピレーションを受けて、弟子たちに、
「明日から、托鉢というものをやりたいと思う。みんなでお椀を持って、托鉢に回ろう。だから、どこかでお椀を手に入れるように。」
そして、翌朝、実際に回る前に、お釈迦さまはこう言ったそうです。
「そういえば、言い忘れていたけれども、ひとつ重要なポイントがある。托鉢をするときに、金持ちの家を回ってはならない。金持ちの家から、お金を頂いてはならない。貧しい人々の家を回って托鉢をしてきなさい。」
弟子たちは、非常に驚いて、
「お師匠さま、それは言い間違いですよね? 今、頭の中にあるものが2つあって、それが、逆さになって言葉に出てきたんですよね。貧しい人々の家を回ってはならない、金持ちの家を回りなさい、と言いたかったのを、たまたま、お師匠さまは間違えて言ったんですよね。」
と聞いたそうです。 お釈迦さまは、
「間違って言ったのではない。もう一度言う。金持ちの家を回ってはならない。貧しい人々の家を回りなさい。それで托鉢をしてきなさい。」
と言ったそうです。 弟子たちは、非常に不思議がって、
「なぜですか? お師匠さま、教えてください。」
お釈迦さまはこう言ったそうです。
「貧しい人々というのは、自分が貧しいので人に施しができないと思い、今まで施しをしてこなかった人々だ。そのために苦しんでいる。その貧しさの苦海から救ってあげるために托鉢行というものに出かけて行くのです。」
「自分には施しをする力がないから、財力がないから、施しができない」と思ってしてこなかった人は、実は、しなかったがゆえに、財が入ってこなかったのだということを、説いたのだそうです。
「自分にゆとりがあったら、施しができるのに」と思ってるのは、どうも、違うようなのです。
「先に施しありき」で、まず、先に人に喜ばれるように、自分ができる限りのことをする、ということが、やはり、宇宙の性質であり、経済の法則だと、お釈迦さまは、2500年前に、説いていたのだそうです。
よく駅前などで、托鉢行をしてらっしゃる僧侶の方がいますが、私たちがお金を持っていって入れると、托鉢行の僧は、「ありがとうございます」とは言わずに、お経を唱えて、チリーンと鳴らして合掌して終わりです。 それを見て、
「お金を入れてあげたのに、ありがとうございますと言わないじゃないか。」
と言うのは、本来の意味を知らない人なのだそうです。チャリーンとお金を入れた側の自分が、「ありがとうございました」と言うのが正しい作法だそうです。
「私」のお金を、正しく美しく使ってもらうために、生活に差し障りのないお金を持っていって、喜んでさせていただく。その施しをすることで、どこかからご褒美を頂くというのが〈喜捨〉(きしゃ)ということの意味だそうです。
托鉢行をされてる方というのは、お金をもらいに来てるんではなくて、もらってあげようとして来ている。施しをさせに来ている。わざわざそのために出向いて来てくださってるそうです。
そうした因果関係がわかってくると、チャリーンとお金を入れて、こちらの方から「ありがとうございました」って言って、帰ることができるようになりますね。
お金が余っているから、喜捨をするのではなくて、先に、生活に差し障りのないお金や、これがなくても大丈夫というものを出すと、それが喜ばれる形で使われた結果として、自分のところに返ってくるようになっているようです。
「ゆとりがあったら、施しができるのに」と思ってるゆとりのない人は、施しをしてないがゆえに、ゆとりがないんだということですね。
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とまぁ、このお話を読んだときに。
そうだったのかー。
わざわざ、私たち一般ピーポー(People)のために、町中に出向いて、「与える」機会を「与えて」くれているんだ~。
そう思ったら、ホント。ありがとうございますぅぅ。
と言いたくなるものです。
しかも、ジャルダンテナントの場合、1件1件、各お店のドアの前に立っているのですよ?
隣のマンションも。周囲のテナントも。
わざわざ出向いてくれるなんて、本当に、ありがたや~。ドアtoドアですから!笑。
そして、なぜ、年に1度、このジャルダンショップ界隈のお店テナントにターゲッティングしてこのお坊様が来るのかは良く分からないのですが。。。いずれにしても、ありがたや~。
何でもこうして、ありがたや~。と思っていると、なんだか嬉しいものです。
托鉢に関して言えば、「お金」ということになろうけれど、この「与える」原理は、基本的に何でも同じですね。愛情も。人間関係なども。言葉とかも。
そして驚くべきは。
モロカイ島のカフナの本に、またしても、この「与える」ことについてのトピックも満載なのだ。
はあ~。モロカイ島よ。
ハァ~ 。アロハスピリットよ。どこまで奥深いのだ。ハワイアン~。
・・・と。
仏教の習慣から、ハワイアンのアロハスピリットの教えまで通じるものがある、、という
人類の法則的なグローバルな考え、教え。
すごいなぁ、と。
思います。
Be a giver, and it’ll be returned to u.
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