兄のお嫁さんのお母さんが、今日、静かに高知の病院から天国に行きました。
明日から、ホスピスへの移動が決まった矢先のことでした。
ホスピスで死を待つくらいなら・・・・と、ある種の潔さを感じたのは、私だけだったかもしれません。。。
でも看護婦として長年、多くの人の支えとなってきたお母さんだったらありえるな。って。
兄のお嫁さんは、3月頃からほとんど高知に帰省しっぱなしでした。兄は会社を経営していて忙しいながらも、私や、両親たち協力して、兄の子供の面倒みたり。
兄も2度ほど、その間、高知へ出向き、お母さんのお見舞いに出掛けていました。
GW中は、飛行機とれずに、車で東京から行ってました。
義理兄。兄の嫁さんの弟ですが。
義理兄は、薬剤師です。結構、著名な。薬剤師会の役員とかやっちゃったりして。
結構、何でも自分でかかえちゃって。万年忙しない。
だって。やさしいすぎるから。性格が。思いっきり。。
そんな義理兄が自分のブログでずっとお母さんの様子を報告していてくれて、私や両親は、頻繁に高知に行くこともできないので、ブログからお母さんの様子を気にかけ、回復を願っていました。私の母は、そんなてっちゃん(義理兄)のブログを見ながら、日々、涙していて、
「だったら、もう読むのやめなよ、、」ってポソっと言うと、
泣きながら、「これ、お気に入りっていうの?に登録?してよ~」と。実家まで駆り出されたときもありました。
なんだろう。
自分の親が病床にいるような状況になったら、私、こんな風にブログに心境とか書けるかな。。。って。いや、できないな、、
すごいな、てっちゃん。って。思いました。
偉いな、てっちゃん。よくがんばったね。
お母さんも。兄嫁えりちゃんも。お父さんも。みんな、この2ヶ月半くらい、ケンカしたり、情緒不安定になったりもしていたけれど、お母さんを囲んで、家族がひとつになっていた。っていう感じが、遠くから見ていて感じました。
そして、間接的に、私たち、東京の家族も。
いろいろな形でお母さんを想ってきました。
家族。って。
温かいね。
私の両親は、私がかなり不良だった時期にこう言ったことがありました。
「あんたが何をしようと、もう大人と呼べる年齢に近いんだから、知ったこっちゃないけどね、、、、 最終的に、あんたが困ったとき、助けが必要なときに、 傍についていてあげられる存在は、家族しかいないんだから。 それを覚えておきなさい。以上!」
今日。不良時代に半分聞き流していたであろう、親のそんなフレーズをふと思い出しました。
お母さん。お疲れ様。てっちゃん、えりちゃん、お父さん。お疲れ様。
ゆっくりと天国で美味しいゴハンでも食べてください。この2ヵ月半、ホトンド何も食べることができなかっただろうからね。ご馳走を振舞われてください。
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