KUPE’E という名前のシェルをご存知ですか?
日中は、海の中に沈んでいて、夜中~明け方にゴソゴソと、砂浜に出てきます。
実は食べても美味しい!そうですよ。
さて、前回の雑学アロハから、2年も経過しておりました。爆。
今日は、久しぶりに、雑学アロハの時間です。トピックは、このKUPE’Eというシェルについて。
KUPE’Eというハワイ語。
ハワイ語の権威、Mary Pukuiさんの英語訳によると・・・
1.ブレスレット、または、ブレスレットのような形のもの
2.食用貝の名前。装飾品用としても使われる。
という意味があります。
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KUPE’Eは、岩場の多い砂(海底の砂含む)に生存しており、岩場の表面にくっついている藻を食べるため、夜に砂から出てきます。
その昔、Kupe’eは日の出ている日中に、岩場に生息する貝でした。その当時は、日光を浴びている影響で、貝の表面は白と黒がほとんどでした。見た目としては美しい色でもなく、大きさも比較的小さめで取り立てて目を引くような種類の貝ではありません。見た目だけで、食べようと思う人間もいないような存在でした。
Kupe’e 神話 ~ハワイ神話におけるKUPE’E~
古代、太陽の旅は、時には早く、時には遅く いつも気まぐれでした。
人々は太陽の動きを予測することすらできなかったのです。
その結果、人々は日中調理をすることや、夜の時間が異常に長くなってしまうことや、また、彼らの生計の糧であるタロ芋やその他の野菜もなかなか育たず、漁業においてさえ、太陽の気まぐれで非常に困難を強いられていました。
時には、太陽はずっと居座り続け、過酷な暑さになることもありました。
木々や植物でさえも焦がしてしまっていました。池は乾ききって水がひえ上がり、乾燥させていたTAPAクロスは自然発火してしまい、人々や動物たちもついには高熱に冒され、彼らの生活は混乱を来しました。
特にカウアウ島、そしてニイハウ島の人々はその被害の中心にいました。
人々や動物たちは悲しみに明け暮れ、 植物も枯れ果て、葉っぱも乾燥してしわしわになってしまい、地面でさえも乾燥してひび割れを起こしてしまうほどでした。岩も熱を含み触ることすらできませんでした。
神父、Hikina-aka-alaは、この現象に非常に憤慨していました、彼らの祈りは太陽の身勝手な行動で全く規則通りに祈りをささげることができなかったからです。
太陽は、日の出を迎えたり迎えなかったり、日の入りをしたり、しなかったり、とにかく身勝手でした。
日の出を迎えた太陽がゆっくりと規則通りに日中空を移動しているときでさえも、太陽は地上近くを移動して、その結果、土地が燃えてしまうこともしばしば起こりました。
そして、太陽は、日の入りの時間になると、声高々に笑い、大声を出し、自分の身勝手さを人々に自慢していくのでした。
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Kuakino という漁業をしている家族は、Koloaの砂浜沿いに住んでいました。
Kuakinoは大きな大家族で、言い伝えでは、KUPE’Eシェルと深いつながりを持っているといわれています。
KUPE’Eシェルのように、ほかのシェルと比べて目立つこともなく、一生懸命労働に精を出し、家族の絆、つながりだけを誇りに生活をしていました。
その頃マウイは、Hkina-a-ka-la寺院近くのWailuaに住んでいました。
牧師は、マウイにいろいろな話を聞かせて太陽がその場を移動するように説得しましたが、全く効果はありませんでした。
マウイは、母が父を探しに天国に旅立ったと言われる場所の近くである、Ke-‘a’a-kukui という場所に兄と共に暮らしていました。
ある日のこと、マウイが Koloaへ旅をしたとき、Kuakino家族が働いている光景を目にしました。カヌーの小屋へ行き、魚とスィートポテトをもらえないか、と頼みました。
Kuakinoファミリーは全員、裕福な暮らしをしているわけでもなく、食料も十分とは言えない生活をしていましたが、マウイの問いかけに対して、心地よく彼らの食料の一部をマウイに分け与えました。
マウイは、彼らがいずれ食料に渇望することはわかっていました。そのとき、ほかの家族が通りかかり、Kuakinoファミリーに、見知らぬものに食料を分け与
える必要などないんだ、と忠告をしました。それでも、Kuakinoファミリーは、マウイに与えた食料の一部を返せ、とは言いませんでした。
マウイは、与えられた食料を食べました。食料は、Ha’upu の高級魚と、Waikomoからのとても甘いスィートポテトでした。そしてそれは、Koloaの中でも最高級とされているポテトでもあったのです。
食後に、マウイはKuakinoファミリーとのんびりしているときに、自分が太陽の動きを正そうと思っている計画を話しました。
その途端Kuakinoファミリーは、畏敬の表情でマウイを見て「あなたは一体誰なんですか」と聞きました。
そしてマウイは、自分の腕に刻まれた虹(Anuenue)のタトューを家族に見せて、自分がマウイであることを白状しました。
そう、マウイは、地底と神々たちを守るHINAの孫だったのです。
マウイは、自慢のオシャベリ、石、ワナ、そして歌声を武器にいざ、ハレアカラ山へ太陽を仕留めるための旅の準備が整った、と言いました。
しかしハレアカラまではカヌーに乗っていく必要があり、その間に太陽にマウイが見つかってしまう可能性があったため、家族の協力を得ることにしました。
Kuakinoファミリーの長男が人々にマウイを助けることの同意を得るための協力をしました。そして、数人を除いて、みんなからの賛同を得ることができました。
Kuakinoファミリーは祖先のカヌーをマウイに与えました。そのカヌーは1ストロークづつゆっくりとゆっくりと進むカヌーでした。
KAUKINOは、マウイに、祖先からの秘密の教えを伝えました。
それは、Kupe’eシェルのように、いざとなったら、砂の下にもぐりこみ、見えなくなる術でした。
Kuakinoファミリーは、マウイがKUPE’Eに変身できるようにおまじないの唄を唄いました。そして、マウイはKUPE’Eに変身を遂げ、マウイ島キヘイの砂浜では、砂の下に完全に隠れてしまうことが可能になりました。
キヘイビーチに生息していたKupe’eシェルたちは、サンセットの時間までKUPE’Eに変身したマウイを助けることにしました。
太陽はとてもいたずら好きで身勝手なので、お腹をいっぱいにさせて、ぐっすりと眠れるように仕向ける必要がありました。
太陽が眠っている間に、マウイがハレアカラの山に登れるようにして、目的を達成させるためでした。
そこでKUPE’Eは、自らが犠牲になることを決心しました。
Kuakinoファミリーたちは、KUPE’Eシェルを大きななべで炒めて、たくさんの臭いを出し、太陽にその香りと食料があることを気づかせる作戦を実行しました。
このおとり作戦はうまく働き、太陽が目覚め、KUPE’Eのおいしそうな香りに気づき、 KUPE’Eを山ほど食べて飲んで、お腹いっぱいになった暁には、水の中へ沈み、再び深い眠りにつきました。
その頃には、マウイの体は変身していたKUPE’Eからもとのマウイの姿に戻り、ハレアカラの山へ翌日のサンライズに間に合うように登り始めました。
ここからの神話は誰もがよく知っているマウイの伝説で、マウイがロープで太陽を縛りつけ、そして、彼のチャント(唄)で太陽は力が弱くなり、マウイの力強
いタトューと顎で太陽を打ちのめしてしまいます。
そして、太陽に、人々や動植物に優しい日差しで時間通りに太陽の活動をすることを約束させるに至ります。
太陽との約束が終結した後、マウイは山を降り、キヘイビーチにたどり着きました。そこで彼は神に、Kuakinoファミリーが今後は食に飢えることなく、過酷な労働を強いられることなく、家族みんながのんびりと平和に暮らせるようにお願いをしました。
そしてこの日から、Kupe’eシェルもその姿を美しいものへと変化させたのです。
特に、自分たちを犠牲にして太陽のために身を投げたKUPE’Eシェルたちの残された家族たちは、虹色のタトューをつけ、そのシェルも虹色のようにストライプに光り輝くようになったと言われています。
そしてそのほかにも、アイボリーや赤いストライプや、ベージュ、グレーなどストライプが入ったKUPE’Eシェルは、マウイが太陽と戦うときに手伝ったシェルたちである、と言い伝えられています。
そのとき、手伝いに参加しなかったKUPE’Eシェルは真っ黒にされてしまったそうです。
KUPE’Eシェルは、現在では、日中の間、日陰に潜み、夜に砂場へ出てきて活動するシェルとして知られています。
Kupe’eは人々によって採取され、その色の種類の美しさから、レイや飾り物に多く使われるようになりました。
マウイの神が、Kupe’eシェルの貢献に感謝した証として、色とりどりのKUPE’Eシェルが今でも採取されている、と考えられているのです。
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有名なマウイの神の話の裏側に、このKupe’eシェルの神話が存在していたのです。
最初、この神話を私はホノルル在住のパトリック(元アロハ航空パイロット)から聞きました。そして、パトリックはおもむろに、
「それで、そのKupe’eで作ったシェルレイとペンダントがこれだよ」と言って、お店(当時LoveMAUI)に置いていってくれたのです。
ハワイにはこのように、ハワイで採取されるシェルには色々な神話、貝の意味などストーリーが隠されています。
もちろん、シェルだけではなく、木の実や木、動物、植物、自然界の命ある存在には全て、物語があります。
私は、Love MAUIというお店を始めたときから、今に至るまで、こうした、商品の素材や商品の裏側に隠れている、古代ハワイからの文化やお話し、神話などを一緒に商品と共に伝えていきたい、と常に思っています。
だから、このKupe’eシェルさんたちの話はとても感慨深いものがあります。
私が、日本でお店を開こうと思うきっかけになったのも、ノニ、というハーブ植物でした。その後、インスパイアされて感動して日本の皆さんに紹介したい、と思ったのは、カヘレラニシェルでした。
自分にとっても、ハワイの植物、シェルは特別な存在です。
さて、Kupe’eシェルで作ったペンダントとレイは、Aloha Craftsでも未だ販売中です。
そう、神話の最初にも書いてあるように、このKupe’eたちの献身的な神話を知らなかったら、その見た目はなんら、美しいものではありません。
でも、つながったシェルとシェルが織り成すカシャカシャ、、という軽快な音は、いまでは、ハワイのフラハラウではアクセントとして使われたりもしているのです。
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