スピリチュアル

 スピリチュアル、という言葉はここ数年、一気に日常なキーワードになってきている感じがします。
 それに関連して、「聖地」とか。そういう言葉もまた人々の心に気になるキーワードとして浮上してきている感じ。

 このスピリチュアル、っていうことばから連想される、もしくは、スピリチュアル、という言葉そのものの本来持っている意味とか、考えるとき、
 スピリット=霊 って日本語で直訳すると、スピリチュアル=霊的。 ってな風になるわけで、そうなると、スピリチュアル=特別な能力(霊能力?)を持っている。みたいな感じにとられてしまうことも多いのかも。

 実際、私もそう思っていました。去年の秋までは。
 そして、私にはそういう「世界」はどちらかというと、「無縁な世界の出来事」として捉えていました。

 しかし、本当は、どんな人間も実は日常にスピリチュアルなんだってこと。
 そこに気づくと、本当に、自分をより理解するための思考がメキメキ芽生えてきて、自分をより理解する、自分がより成長するためのステップを自信を持って歩んでゆける、っていうところにつながるような気がします。

 自分と向き合うのが怖い、自分の本質を知るのが不安、見たくない自分の一部分を認めて受け入れる勇気がない。
 だから、スピリチュアル=自分とは無関係の世界のこと。
 って、理由づけしちゃうことがあるのかも。
 多分、私もそうだったのだ。

 人間は、成長するために生きている。
 成長するためには、「自分を知る」っていうことが成長の一番の大きなポイントでもある。

 自分を知ることから逃げていては、いつまでたっても、自分の本質部分の成長が促されないかもしれない。
 そして、自分の本質が欲していることを成就できないまま人生を終えると、同じ課題は次の人生でまた経験することになる。
 そんな気がします。

 だから、より多くの人が自分の本質に目覚めるために、
 今、たくさんのスピリチュアルな人々がサポートをするために世間に浮上してきているのでは、という感じを受けます。
もちろん、その中には、ウソなスピリチュアルもあるでしょう。
 ウソっぱちなスピリチュアルに遭遇したとき、それすらも、自分がそうした出来事によって、何かに気づく必要性があるからのこと。
 ウソっぱちなスピリチュアルを避難したり、批判したりするのではなく、
 自分に目を向ける。常に。
 いいときも、悪いときも、仮に、自分は正しくて相手が100%悪い!という状況であったとしても。目を向ける先は常に「自分」であるべきだと思う。

 ということの大切さを最近、ちょっとかなり実感してきている私です。

 自分の中のスピリット(魂)の声を聞くこと=スピリチュアル。
 巷にいる、ヒーラーさん、ボディワーカーさん、霊能者透視者さん、etc,etc,,,, 彼らは、
 自分の中のスピリットの声を、自分の本質を知るための「きっかけ」を与えてくれる人たちであり、自分が答えを見つけやすいように導いてくれる人たちであり、サポートしてくれる人たちであると、私は思う。
 最終的に、気づくのは「自分」でしかないから。

 でも、そこに「依存心」が生じたり、「傾倒心」が生じたりすると、「自分」がなくなっちゃうから、そうなると、これまた、ある種「宗教的」なものに陥ってしまう。
 そのように思うように仕向けている人たちも、もちろんいるのでしょうが。
 それでも、決断を下したのは「自分」なのですよね~笑。

 私は、割と定期的に色んなヒーラーさんやボディーワーカーさんのところへ出向いています。
 実は来週もDNAアクティベーションというセッションを予約しているのだ。

 これは、なんでかというと、やっぱり、自分の本質をより深く認識して、自分が進むべき、使命とか、本当に自分が望んでいる今生での生き様をより明確に理解したいからなのです。そして、何よりも、自分が今以上にもっともっと成長してゆきたいと、思っているからに他なりません。

 そして、昨年の秋に初めて受けたヒーリングセッションからの出来事を振返ってみると、そのとき、そのときに必要なセッションをちゃんと選んで、必要なヒーラーさんの元へ行っているのだ。恐るべし私の直感。
 知人の紹介だったり、たまたま遭遇したホームページで「どうも気になる」人だったり、、そういう漠然とした直感で、実に様々なヒーラーさんにお世話になっています。
 一人の同じ人、、っていうスタイルじゃないところが、なんだかいかにも、導かれている感じ(笑)もする。

 そうして、節目節目でヒーラーさんのお世話になることで、自分の進んでいる道に確信を持てたり、軌道修正したり、元気になったり、、。それらは、彼女たちがそのとき、そのときの私の状況に応じて、より快適に前進できるように「ポンッ」と背中を押してくれているようなもの。
 歩いているのは「自分」なんだ、結局。

 同じスピリチュアルでも、それを「ヒーラー」「霊能者」「ボディワーカー」などとして、他者をサポートするためにスピリチュアルな人ばかりがスピリチュアル、っていわれがちだけれども、同じようにスピリチュアルで、それを「作品」に反映させたり、「経営者」として発揮させたり、「主婦」だったり、、、何ら変わらないと、私は思う。

 何も他人さまを癒すことの出来る人、なにか見えないものが見える人のことだけを「スピリチュアル」な人、って呼ぶわけではないのだ。
 私はそう思う。

 全ての人、全ての生物は、全部同じくスピリチュアル。
 その自分の中にある「スピリチュアリティ(霊性)」に心の底から向き合おうと思うか、思わないか。気づくか気づかないか。その違いが個々にあるだけだと、思う。

 今、瞬時にその人の持つトラウマやカルマや、心の重荷とか、負のエネルギーとかを浄化してくれるヒーラーさんもいます。
 私は本当に即効で、精神的な部分で変化があったし、肉体的にも変化があったし(肩こり、腰痛、偏頭痛がなくなった、、とか)、だからこそ、上手に自分の直感に従って、自分の人生をよりよく生きるため、より成長してゆくためのツールとして、ヒーリングセッションやボディワークセッションを利用するのはとてもいいことだと思っています。
 
 言ってみれば、定期的にアカスリに行ってからだをキレイにする、とか、定期的に歯医者に行って、歯のチェックをする、、とか、人間ドッグにいって、体の状態をチェックする、、とかそういうのと何ら変わらない感じで、心の定期健診、っていうつもりで捉えると、とっても便利なツールだと思います。そして、これからの時代、本当に心の定期健診は大切になってくるとも思います。
 目に見えないから、なかなか自分自身で心の定期健診をするのは、そこにエゴが登場してどうにもニュートラルに見ることができなかったりするもの。身体の異変も同じですよね~、自己判断で「単なる腹痛」と思っていたら、実は「胃潰瘍」だった、、とか、笑。あるでしょう、そういうこと。
 それと同じ。
 巷のヒーラーさん、ボディワーカーさんたちは、スピリットドクターたちで、スピリット外科、スピリット内科、みたいに(笑)それぞれ持っている得意分野も違ったり。
 肉体のお医者さんと一緒で、スピリットドクターの中にも、ヤブ医者もいたり(笑)。
 
 そんな感覚で捉えると、スピリチュアルなこと。って本当に身近で日常で全ての人に存在するものなんだ、って思えてくるんじゃないかな~。

関連記事一覧

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP