ジョージ・ヘルム

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ハワイ語を含め、毎回メルマガの中で少しずつハワイに関することを綴って行きたいと思います。
第3回目は、ハワイアンスピリットについて

George Helm(ジョージ・ヘルム)という名前を聞いたこと、ありますか。
今日は、この世を去るまでずっと自分の中に通じているハワイアンスピリットを信じ続け生き抜いた彼の一生について少しだけ触れてみたいと思います。
彼の生き方を知ることで、少しでもReal Hawaiian Spiritを感じてみましょう。


ハワイ諸島は全部で8島から構成されています。その中のひとつであり、イチバン小さい島が、Kaho’olawe (カホオラヴェ)島です。
マウイ島サウスエリアからうっすらと見えるこの島は、1994年に返還されるまでの実に53年間、米国海軍の爆撃練習場として利用され、所有も海軍のものとなっていました。
しかし、カホオラヴェ島の自然は実にすばらしく、ハワイアン文化を後世に継承してゆくべき数々の遺跡(岩に描かれたペトログラフ)も多く見つかっています。
カホオラヴェ島の自然保護は、イコール、ハワイアン文化の保護、生粋ハワイアン達の文化継承につながるものである、と強く感じた一人のハワイアンが、島を海軍から返還するための運動に参加しました。
それが、1975年のこと。そしてその男こそ、モロカイ島出身のジョージ・ヘルム氏でした。


カホオラヴェ島返還運動の合言葉は、「Aloha ‘aina」(Love for the Land)。島を愛すること。これは、単に自分が住んでいる島、自分たちのルーツである島を愛する、という表面的な意味だけではなく、もっと深い意味がこめられています。


人間に愛を注いでくれる島、その島に愛を注ぐこと。すべてのものはひとつであり、お互いに尊敬すべき存在である、というハワイアンスピリットに大きく根付いた意味を持っています。


1950年3月23日、George Helmは、7人兄弟の5番目としてモロカイ島で産声をあげました。幼い頃からGeorgeの父は、ウクレレをGeorgeに与え、後に彼の天性とも言えるべきハワイアン音楽のルーツが始まります。


一度は、ハワイアン航空のセールス担当として世界中を飛び回りホノルルで活躍していたGeorgeですが、彼の中に潜むハワイアンの血が、このまま単なるサラリーマンとして生活してゆくことを拒み、結局、ビジネスマンとして成功を収めていたにも関わらず、2年ちょっとで役職を退き、幼い頃から常に自分の身の回りにあったウクレレ片手にミュージシャンとして、新たな人生を歩き始めます。


それはお金のため、ということではなく、彼にとってハワイアン音楽は、「彼にとって一番大切なこと」であるからに過ぎなかったのです。「ハワイアン音楽はボクの血そのものなんだ」と後に彼は語っています。


そしてミュージシャンとしてのGeorgeは、その存在が必然であるかのように、瞬く間に才能を認められ、数多くのホテルやラウンジで歌い始めたのでした。


そんな中、1975年、モロカイ島で現在のカホオラヴェ島返還運動グループの前身である、「Hui Alaloa」グループメンバーにGeorgeは出会います。
彼らのカホオラヴェ島返還に対する運動をそこで始めて知ったGeorgeは、何の躊躇もなく、また何の迷いもなく、自分のその運動に加わり、その後、グループの中心人物となり地元のハワイアン、政府との間に入り交渉を進めたり、カホオラヴェ島の生態や自然調査に率先的に関わってゆきます。


そこでも、彼の天性のハワイアン音楽が人々とのつながりをさらに深めていったことは言うまでもありません。音楽を通じて、ハワイアン達に返還運動の主旨を理解してもらったり、音楽を通じて、地元の人々の交流を深めた上で、自分達の運動に批判的な人々を説得してきたのです。


その結果、1976年には、カホオラヴェ島返還に対する運動はハワイの人々の間でも注目のニュースとなり、政府もやっとGeorgeたちの話を聞き入れざるを得ない状況となってきました。


しかしまだ、カホオラヴェ島に無断で上陸することは許される状態ではなく、George達はマウイ島サウスエリアからいつも自分達、友人たちの所有するボートで夜中、海軍警備の目を盗んで上陸していました。


1977年3月、2人のグループメンバーがカホオラヴェ島に取り残されてしまう事件がありました。その2人を連れ戻しにゆくために、Georgeと友人のキモ・ミッチェル(Kimo Mitchell)、ビリー・ミッチェル(Billy Mitchellの3人は、カホオラヴェ島に向かいます。


しかし、そこで海軍警備隊に見つかり、3人は襲撃されそうになり、ボートから海に飛び込みます。その後、ビリーは自力でマウイ島に引き返しますが、モロキニ島でキモとジョージを見かけたのを最後に、2人は消息を絶ちます。
その後、グループの人々、警察によってくまなく2人の捜索が行われましたが、GeorgeとKimoがその後発見されることはなかったのです。
George Helm、27歳の春、あと2週間足らずで28歳の誕生日を迎えるところでした。


その後、カホオラヴェ島返還グループは消滅することなく、George Helmの意思を引き継ぎ、返還運動を続け、ついに1994年、島はハワイ州に返還されました。


2004年に日本にも来日を果たし、その天使のような歌声で人々を魅了し、数々の賞も受賞したRaiatea Helm(ライアティア・ヘルム)。彼女は、George Helmの姪っ子にあたります。
まさにハワイアン音楽のルーツ、血をひいた一族とも言えるでしょう。


2005年から、島へのアクセスが可能になっていますが、一般の観光アクセスが可能になるまでには至っていません。


今も、カホオラヴェ島返還運動から、今度は、島を保護する運動へその姿を変えてAloha ‘ainaは勢力的に活動を続けています。
自分たちの生まれ育った国、ルーツとなる島を大切に想う気持ち。自然すべてが自分達に恩恵を与えてくれる、だから、大切にする。
その気持ちは、人種関係なく持ち続ける必要のある心(スピリット)だと思います。
Aloha ‘aina。
この気持ちを一人ひとりが大切に持ち続けていくこと。それが、この混沌とした世界をより良くしてゆくために、必要なことのひとつじゃないかな、とも思います。


※参考文献:「Ho’i Ho’i HOU(A Tribute to Geroge Helm&Kimo Mitchell)」edited by Rodney Morales
☆カホオラヴェ島「Aloha ‘aina」団体ホームページ http://www.kahoolawe.org/
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☆オススメハワイアンリンク☆
●ポストカード・ハワイ(英語サイト)
素敵なハワイの写真でグリーティングカードが送れます。
http://www.postcards-hawaii.com/
●ハワイアンヒストリカルソサエティー(英語サイト)
ハワイの歴史を非常にまじめに歴史学的に説明しているサイト。勉強になります。
http://www.hawaiianhistory.org/index.html
●ハワイの神話(日本語サイト)
ハワイの代表的な神話を日本語に簡約してくれているサイトです。
http://www.legendaryhawaii.com/
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編集後記 from lanikaula
ハワイの神話や歴史についてイロイロな文献を読んだり、知ることは本当にとても興味深いです。そこには、間違いなく、「愛」があります。
だから、今、多くの人たちが注目し、また、多くの人たちに親しまれているのだとも思います。
雑学ALOHAで紹介したGeorge Helm氏ですが、消息を絶ったと言われている最後の目撃情報が、マウイ島のモロキニ島近海なのですが、この場所で彼が「母なる海に帰っていったんだ」と仲の良い知人友人家族たちは考えている、と後日談として紹介されていました。
マウイ島とモロキニ島、カホオラヴェ島が掲載されている地図を見てみてください。
そして、横長のマウイ島を右に90度回転して眺めてみてください。島の西エリア部分が人の顔の形になり、くびれた、カフルイエリア〜キヘイエリアが首、そして、そこから広がる南マケナエリアからハナエリアとハレアカラ火山エリア、特に突き出たマウイサウスマケナエリアは、そうお母さんのおっぱいのように突き出ています。
マウイ島は、「母の島」でもあるのです。
そして、おっぱいの延長線上に位置するカホオラヴェ島は、赤ちゃんです。
その中間にある、モロキニ島。これが、赤ちゃんとお母さんをつなぐヘソの緒、として伝えられています。ハワイアン神話、伝説にもそうした記述があります。
そう、つまり、Georgeは、お母さんと赤ちゃんをつなぐ命綱、モロキニ島で消息を絶ったのです。だから、母なる源へ帰っていったんだ、と。
神秘的でありながら、実に理論的でもあります。単なる神話や逸話ではない、「何か」がそこに、マウイ島にはある。そう思わずにはいられません。


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Love MAUIメールマガジン[2005/02/24]号より。

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